映画について
2022年6月3日公開。
監督は永江二朗。
見ようと思った理由
人に勧められて、「知らない駅に辿り着く。どうやらそこは異世界らしい。」という部分に、大好物の「日常の間に存在する異世界」を感じて、無性に見たくなったから。
(このとき、なんとなく恒川光太郎の小説「夜市」が頭に浮かんでいた。Amazon:夜市(恒川光太郎))
あらすじ(ネタバレ注意)
ここから先はネタバレを含みます。
観てない人でネタバレを好まない人は、ここでブラウザバックしてください。
観てない上でネタバレOKな人のために、簡単に私の解釈で説明します。
民族学を専攻する大学生、堤陽菜(つつみはるな)は、ある女性の自宅を訪れた。
その女性は葉山純子(はやますみこ)。元高校教師であり、2004年に職場から帰宅途中、行方不明となった。その7年後、突然現れた葉山が語る体験は、「通勤電車で寝過ごした結果、きさらぎ駅という異世界にたどり着いていた」という内容であった。
この話は一部のオカルト好きたちの間で有名となり、堤もこれを聞きつけ、自身の研究テーマにしようという考えで、インタビューのために自宅を訪れていたのだった。
訪れたとき、葉山の家に間借りしている高校生の姪が堤を応対した。その後堤は、葉山と二人きりで、葉山から直接体験談を聞くことになる。
そこからは葉山の体験内容を、視聴者も葉山の一人称視点で体験することになる。
当時、電車を2度寝過ごした葉山は、終電でいつもの駅から自宅に帰ろうとする。乗っている最中に、列車は普段通過することのないトンネルを通過し、葉山は驚く。トンネルの中で意識が朦朧とし、目が覚めると立ったり喋ったりしていた周囲の乗客の姿はなく、自分以外の五人の乗客が、全員眠りこけている状態であると気がついた。
そうこうしているうちに列車はある駅にたどり着く。乗客も全員目を覚まし、列車のドアが開くと、そこが「きさらぎ駅」であるとわかる。
乗客は全員その駅でおりるが、そこで葉山は乗客の一人の女子高校生が、自身の勤める高校の制服であると気づく。その生徒は宮崎明日香(みやざきあすか)と名乗る。
そこからは、不気味な音とともに乗客が一人一人何かに襲われ死んでいく展開となる。
そんな中、「どんな時でも自分に恥じる行為はするな」という母親の言葉を守り、危険を顧みずに利他的に振る舞う女子高生・宮崎と助け合いながら逃げ続け、最後は二人だけになる。
最後、怪異の脅威に襲われながらも、現実世界への帰り道のように見える光る出口を見つけるが、迫る怪異のためにどちらか一方しか光る出口に辿り着けないような状況であった。そんな中、葉山は「私を置いて逃げて!」と、宮崎に光の入り口へ入らせ、自分は怪異と格闘する道を選ぶ。その結果、視界が暗くなった葉山は……なんと現実世界に戻ってきていた。さらに、きさらぎ駅での一夜の出来事は、現実世界で7年も経過していた。
このような体験談を回想しながら、葉山は「あのときあの子ではなく自分が光の出口から出ていたら、あの子が助かったのかもしれないと、今でも思うんです。」というようなことを言う。
この話を聞いた堤は、同様の手順で異世界きさらぎ駅に到着する。そこには葉山から聞いた通りの乗客の面々と、葉山と出会った女子高生・宮崎もいた。しかし宮崎は葉山との記憶は何も覚えていなかった。
そこで起きる出来事は大方葉山の言う通りとなり、堤は葉山の話を元に事前に対処することで危機を乗り越え、宮崎を生還へ導いていく。しかし、徐々に体験談と異なる状況が増え、終盤には揺り戻しのように乗客は次々と消えていき、とうとう堤と宮崎の二人だけになる。怪異から逃れるため必死になっている最中、葉山が体験したのと同様に、光の入り口が現れる。そこで堤の脳裏には、葉山が語った「あのときあの子ではなく自分が光の出口から出ていたら、あの子が助かったのかもしれないと、今でも思うんです。」と言う内容の言葉がリフレインする。
ここで、堤は迷った結果、怪異に立ち向かい、女子高生・宮崎に光の入り口に先に入ってもらうという行動をとる。宮崎が光の入り口に入り、そこで終わりかと思いきや、「堤さんも来てください!」というような宮崎の声がし、怪異を倒した堤も光の入り口へ走る。
しかし、寸前で光の入り口は消え、堤は怪異の残る異世界へ取り残される。堤の意識は一向にブラックアウトせず、絶望の中で、背後から気配を感じた堤が振り向くと、そこには宙に浮かぶ巨大な眼球が存在し、堤をじっと睨め付け、そのまま場面は終わる。
場面が変わり、何年ぶりかはわからないが、異世界から出ることのできた女子高生・宮崎のもとに葉山がたどり着く。
そして、「あの時あなたを助けられず1人で光の入り口から出たときから、この日を待っていた」的なことを言う。しかし宮崎には葉山の記憶がない。
場面変わり、葉山が「あなたは役目を果たしてくれた」と言いながら堤のプロフィール資料をゴミ箱につっこむ。
さらに場面変わり、叔母の葉山純子への堤のインタビューを物陰でこっそり盗み聞いていた姪が、ライブ配信しながら叔母と同じようにして異世界に渡ると、そこには記憶を失った堤が、女子高生・宮崎の代わりにそこに居た。
以上で終幕である。
解釈について
葉山純子が語った体験談は、一点だけ嘘があった。それは、最後に葉山自身が宮崎に語るように「光の入り口から出たのは、宮崎ではなく、葉山だった」ということ。
そこを、堤には逆に伝えた。
その意図としては、女子高生・宮崎を救うために堤を利用した、ということであろう。
そこまでして宮崎を助けたかった理由は、作中の描写からもわかる利他的でまっすぐな性格の宮崎を、異世界に残して自分だけ生き残ったことに対する自責の念であろうと思われる。
あくまで葉山が自分のために、宮崎を救い、結果として堤は犠牲になった、ということであるが、視聴者目線は「堤」であり、堤の感情が視聴者の感情である。
ところが、この作品において、どうも堤の感情がわからなくなる場面がある。
それは、堤が光の入り口に自分が走るか、宮崎に走らせるか迷ったシーンである。
ここでは、怪異に襲われており、どちらか一人しか光の入り口には入れないだろうという前提が存在する。その上で、堤の考え方と行動にはいくつか場合わけが存在する。
- (A)「自分が生き残るのが優先」かつ「光の入り口に入るのが脱出の正解」
→ 堤自身が光の入り口に走るだろう - (B)「自分が生き残るのが優先」かつ「誰かが光の入り口に入り、自分は入らないのが脱出の正解」
→ 堤自身はその場に留まり宮崎を光の入り口に入れるだろう - (C)「宮崎が生き残るのが優先」かつ「光の入り口に入るのが脱出の正解」
→ 堤自身はその場に留まり宮崎を光の入り口に入れるだろう - (D)「宮崎が生き残るのが優先」かつ「誰かが光の入り口に入り、自分は入らないのが脱出の正解」
→ 堤自身が光の入り口に走るだろう
映画で堤がとった行動的には (B) か (C) だが、視聴者的にはこれのどちらかを決め切る術がない。
パッと見て視聴者が受ける印象としては、堤が「自分が生き残るのが優先」なのか「宮崎が生き残るのが優先」なのかで迷った結果、後者に振った、なのだが、そこに「葉山の言が正しいかどうか」の観点が入ってくることで難解になる。
葉山の言が正しいと信じ、かつ「宮崎が生き残るのが優先」だと利他的に思ったなら、(D) の行動を取るはずだが、実際に取った行動は「堤自身はその場に留まり宮崎を光の入り口に入れる」という一見宮崎が生き残るのを優先したような行動をとっているのに、葉山の言を信じているなら「自分が生き残ることを優先」していることになってしまう (B)。
私の結論としては、咄嗟に直感と反する葉山の言を信用せず、かつ利他的に振る舞った (C) が正解なのかもしれないと思っている。
というのは、最後に堤が宮崎の声に反応し光の入り口に走ったという行動は、葉山の言に反するためである。あと個人的に、それまで利他的に振る舞っている主人公・堤が最後に急に自分中心に振る舞ったというのは、見ている側としてはノイズにしかならないと思う。
結末について
(C) だと仮定して話すが、葉山が嘘をついていると見破れる知性がありながら利他的に振る舞った堤は、きっと第二作以降で救済されるだろうと信じたい。
葉山については、運悪くきさらぎ駅に行っちゃってどんまい、という感じ。その後の行為については人間的だなとしか思わない。
宮崎について。助かってよかったね。あと、演じている本田望結が終始可愛いなという感じ。
きさらぎ駅の「理由」が明かされないことについて
作中では、結局きさらぎ駅とは何か、何を目的としているのか、が明かされず、終始理不尽な異世界として存在する。
これについて、昔の自分なら、「理由が明かされないなんてなんてクソな映画だ」と思っていただろうが、今ならわかる。こういう怪異系や異世界系について、理由が明かされたとて納得できることは少なく、理由が明かされてかえって「は?なんだそれ。観て損した」と思うことの方が多い、というかそういうパターンしかないということが。
むしろ今回のように明かされない神秘のままでいることが、もっと知りたくなる奥行きとしての存在価値を保ったという点で、良い。
次回作も見たくなる。
この映画の魅力
「ボタンの掛け違いで日常の間にどこからともなく現れた異世界」の不気味さと、得体の知れないからこそ先を知りたくなる奥ゆかしさである。
特に前半の葉山の追憶部分は画面のフィルタ効果と一人称視点もあいまり、何が起こるかわからないヒリヒリした恐怖を楽しめると思う。
おわりに
個人的にこの映画のおすすめ度は、7/10 である。
点数は映画レビュー初回ということもあり適当。
以上が私の感想である。