先日、本当に久しぶりに映画を見た。しかも、ジャンルはホラー映画だ。
ホラーを禁止されていた家
私の家庭では、母がホラー映画を「気持ち悪い」という理由で毛嫌いしていたために、ホラー映画を禁止されていた。
ついでに、
- 気まずくなるという理由でロマンスを
- 怖いという理由でミステリーを
- やかましいという理由でアクションを
- 意味がわからないという理由でSFとフランス映画を
- 暗いという理由で邦画を
みることができなかった。(ついでに母は漫画を「脳が腐る」という理由で禁止していた。私は隠れて読んでいた。)
その結果、家で見ることがあるのはディズニー、ジブリ、コメディーくらいのものだった。(私は父とこっそりSFとアクションを見ていた。)
そういうわけで、ホラーを見る習慣がなく、またびびりなのもあり、30歳になるまでホラー映画を一人で通しで見る経験はなかった。
30歳にして初めてのホラー
そんな私が、30歳にして初めてホラー映画を見た。
見た理由は、簡単にいうと、「人に勧められて強く見たいと思った」から。
私が「強く映画を見たいと思う」という事態が「非常に稀」なため、これは見ないといけないと思った。
どうして、そんなに見たいと思ったのか、言語化できなかった。
今、無理やり言語化しようとするなら、世界にもっと奥行きが欲しかったのかもしれない。
奥行きと、神秘のカーテン
現在では YouTube で無料で手軽に見れる動画が溢れており、世界各地の様子が見られる。多くの旅系 YouTuber がレポートしており、秘境らしい秘境は少なくなっている印象だ。また、YouTube の動画で見る秘境には、無味乾燥な説明的情報こそあれ、物語性は欠けており、ただそこに平面の世界として存在している印象だ。
私が求めているのは前述した物語性、歴史、立体の世界であると同時に、それらが完全には明らかにされず、神秘のカーテンをかぶっているという奥行き、立体感である。後者が、強く感情を動かすと考えている。
神秘のカーテンを開けようとする、そのために色々議論する、この過程が人生を楽しくする。
このカーテンが完全に開けられた時、人は一瞬のカタルシスを得るかもしれない。しかし、物語はそこで終幕だ。次の物語を探しに行かないといけない。また、カタルシスが得られるとも限らない。自分が追い求めたものが、単なる俗物と知った時の落胆が待っているだけかもしれない。
YouTube によってこの世界に残された奥行きが減ってきている現状を鑑みると、解釈可能性を多く残した創作の世界に行き着くのは必然だったのかもしれない。
このブログでやっていくこと
まあ、あの時、私はホラー映画の「日常の間に存在する奥行き・謎」と出くわし、あれやこれやと解釈可能性を探して思索を巡らすのが大好きに違いない、と直感したのであろう。
実際映画を見て、自分流解釈をしている時は、至福の一時だった。
ということで、今後もホラー映画のような解釈可能性が残されたものをあれやこれやと考えて、その痕跡を残すという作業を、このブログでやっていこうと思う。
以上。